四国遍路の四万十川的な文化・歴史考察・その1
2006年 05月 14日
◆「中村は遍路から外れてる」・・・のなぜ?
昔の四国遍路「八十八ヶ所参り」というのは「悲観的状況の人々」の巡礼だった!今でこそ「人生の清算的な人」が多いが、昔は「疫病・肺病やライ病」の「凄惨な人」が多かった!
昔、中村(現四万十市)の山内家のお殿様は「巡礼者を中村に入れるな!札所は遠くへ造れ!」と、自らの住む中村を「巡礼ルート」から外してしまった!
だから、「窪川」(岩本寺37)の次は「足摺岬」(金剛福寺38)へ、「海岸沿いの道」が巡路である!足摺岬の次は、宿毛市の(延光寺39)であるが、土佐清水市市野瀬にある番外霊場、眞念庵から、中村には戻らず、三原村の山越えの険しい道が、昔からの歩き遍路の一般的な「巡礼ルート」とされている。徹底的に、中村は遍路から外れている。外されている!
「中村市の賑わい」を考えたら「巡路」を、足摺岬への行きも帰りも、中村市内を通るようにすればいい!しかし・・・「歴史は変えられない!」のである!
【写真】山内家の家紋
◆番外霊場、眞念庵(お遍路さんと詩歌)
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(先週のブログ紙面) <5月7日ー13日>
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◇活動の記録 (平成17年度)その6
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[四万十川の愛唱歌](「四万十川新聞・俺の話を訊け!」より)
■昴(すばる)
目を閉じて 何も見えず
哀しくて 目を開ければ
荒野に向かう道より
他に見えるものは無し
うしろすがたのしぐれてゆくか 山頭火
[山頭火、幡多遍路の旅]
かくして、山頭火は中村の街を迂回して幡多遍路の旅を続けた。昭和3年のことである。
そのとき、山頭火は足摺岬から友人に、句をしたためた葉書を出している。
踏み入れば人の声ある冬の山
旅ごろも吹きまくる風にまかす
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[おまけ] <「本家版・四万十川新聞」より>
■山内家のお殿様の話(読者の広場)
北鮮での日本人の教え子、小西君の遺稿が今年の夏、富山市から私の手許に届いた。彼は海軍練習生を志願して、昭和18年4月に松山海軍航空隊に入隊。
18年秋に、高知市浦戸海軍航空隊に転属し、血書志願をして、特別攻撃隊の出撃を待機中に、交替で外出が許され、高知城を訪れた。その時のこと。
『高知城をすぐ側まで行って仰ぎ見た。表門は小さいながら堂々として厳しかった。表門から少し離れた庭園に昔の殿様の邸宅があり、若様だそうだが、お女中を二人連れて遊んでいた。
ここまでは良かったが若様が、私達の側に来て「誰か」と聞いた様だった。七ッボタン の飛行練習生が三人立って自分を見ているので、不思議に思ったのかも知れない。そしたらお付きの老女中が事もあろうに「若様、下々の者に口を開いてはなりません」と来た。今なら「糞ったれ」と言ったと思う。終戦直前でも、特権階級の人達の思いあがった優越感の一部を垣間見た思い。あの若様は今でも殿様とか若様と呼ばれているのだろうか?』
死を覚悟して待機している純真な少年を、「下々の者」と呼んで差別の言葉で傷つけ、お遍路さんを自分の城下町を通させなかった、山内家の体質に同じ臭いを感じます。
小西は飛び立つ飛行機がなく、終戦を迎え復員郷里の富山で78歳で永眠。死後の遺稿集に、この数行がありました。(村上 清<89歳>・高知県田野町2380)【メール】
【この「読者の広場」への投稿は、四万十川新聞の読者で、「78歳で逝去された教え子」を持つ、卒寿を越えて、益々お元気な「元校長先生」から、メールでいただいたものです!(四万十太郎)】
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写真集=『ブログフォーカス(四万十川通信)』
壁新聞=『県庁ぷらっとこうち版・四万十川新聞』
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by tarou100s
| 2006-05-14 06:50
| 18年5月